通りは秩序を失った群衆でごった返していた。警笛を鳴らして交通整理をしようとする警察官や、「救急隊はまだか!」などと飛び交う声から、大きな事故があったようだと推測できた。いつもなら気持ち悪いくらいにスムーズに流れている人の波が、押し合いぶつかり合い、苛立ちや不満をむき出しにして、収拾のつかない状態になっている。車の流れは完全に止まり、あちこちの窓から不安そうな顔がのぞいていた。上空では、報道機関だろうか、ヘリコプターが旋回している。まるで世紀末のような混乱ぶりなのに、街の明かりは相変わらず煌びやかで、そのちぐはぐな奇妙さが一層不安を煽った。少し歩くと、群衆の中にモカの姿を見つけた。長い黒髪の、大きなバズーカを背負った小さな後ろ姿。モカの姿を見て僕はほっとした。
モカの前には、人でできた壁があった。どうやらそこが事件の現場のようだ。彼女はその少し手前で佇んでいた。モカのことだから、一旦冷静に現状を把握して、それから捜査に加わるなりして事件解決へ向けて動くのだろうと僕は思っていた。しかし周りが慌ただしく動いている中で、彼女はいつまでも微動だにせず、ただそこに立っていた。人がぶつかりそうになっても、全く動く気配がない。邪魔をしないようにしばらく様子を見ていたが、さすがに異常を感じ、彼女に近付き声を掛けようとした。そして僕はその顔を見てぎょっとした。
モカの顔は血の気が引いて真っ白だった。目は見開かれているものの、まるで何も映していないみたいにーーあるいはここにはないものを見つめているみたいにーー虚空を見つめたまま揺らぎもしない。まるで立ったまま魂が抜けてしまったみたいだ。モカの死人のように虚ろな目は、真っ直ぐ人垣の中に向いている。
一瞬人垣が割れて、中の様子が見えた。その中に見えたものは、夥しい血ーー血の海。そこはまさに血の海だった。そしてその中に、人間の部分のようなものが転がっているのが見えた。
「うっ……」
と思わず僕は声を漏らした。僕の声に反応したのか、人垣を成しているうちのひとりが振り返った。白いランニングシャツを着た、屈強そうな男だった。男は眉を寄せて僕を見た後、隣のモカに視線を移し、その背中にバズーカがあるのに目を留めると突然目の色を変えた。
「おまえ! バスターのモンか! 今までどこで何してやがった!」
男が『バスター』と口にしたことで、異星人がらみの事件だと分かった。男は今にも掴み掛からんばかりの勢いでモカに向かってきた。
「やめろ! 彼女の責任じゃない」僕は男とモカの間に入って言った。「彼女に八つ当たりするな」
男は興奮で顔を真っ赤にしながら「グゥッ……」と唸り、モカと僕を睨みつけた後、「クソッ」と言いながら去っていった。
その間もモカは我が身を守るそぶりもなく、ただ立っていた。まるで殴られても構わないとでもいうように。いや、というよりも、そんなことは問題にならないくらい別のことに心をとらわれていたのだろうか。
「どうして……」依然として呆然としたまま、やがてモカは小さな声でつぶやいた。「気が付かなかった……? あたし、どうして……」
すぐ隣に僕がいることにも、モカは気が付いていないように見えた。そのくらい、彼女はショックを受けているようだった。
モカの様子がおかしくなったのはそれからだった。
彼女は、僕と二人でいても妙に緊張したような顔をするようになった。柔らかな雰囲気は消え、出会ったばかりの頃のようなクールな表情でいることが多くなった。僕が何か冗談を言うと、彼女は笑ってくれることもあったが、しかしすぐに自分を律するかのように軽く頭を振ると、元の冷静な顔に戻ってしまうのだった。楽しい気分でいること、気持ちが緩んでしまうことを彼女は極度に恐れているようだった。
それからまた、こんなこともあった。
モカの店で占いの道具の手入れをしているモカと他愛のない話をしていた時、突然モカは異質な音を聞きつけたウサギのようにピクッと顔を上げた。そのまま一、二秒こわばった顔を虚空に向けていたが、やがて何かに呼ばれたようにテーブルの上に道具類を広げたまま店の外へと出ていった。様子が気になり僕も外へ出た。モカは、空ーー星のまたたく黒い空ーーをじっと見上げていた。それを見て僕は何故か寒気がした。声を掛けようとしたが、僕が口を開くよりも一瞬早くモカは手首のバングルを口元に近付けると、
「応援要請」
と素早く言った(モカのお気に入りだと思っていた金色のそれは、どうやら通信機らしかった)。かと思うと店の中に取って返して、すぐにバズーカを背負って出てきた。
「ごめんなさい、ヨウ。行かなくちゃ」
モカはそう言い残し、風のように走り去った。店の中で待っていたが、その日もうモカは帰ってこなかった。僕はもらっていた合鍵で戸締まりをし、ひとり帰ったのだった。
モカは常に気を張りつめていた。あの日以来。
あの事故にはモカの責任なんか少しもない、と僕が言ってみても、彼女は、そういうことじゃないと言った。
「あたしは全く気が付かなかったの。あんなに近くにいたのに、そんなことはありえない。自分が信じられなくて、恐ろしいの。自分の個人的なことーー恋に、夢中になって……そうしたら“レーダー”は切れてしまうのかしら? それとも、あたしが感知できる『何か』をたまたま持っていなかったのかしら……。うやむやにはできないわ。命に関わる問題だもの」
「モカ……」
彼女の表情はひどく真剣で、顔は青ざめ、少しやつれさえしていた。ひとりで背負い込もうとするモカに、僕は焦れるような気持ちを覚えたが、彼女は最後には今にも泣き顔に崩れそうな微笑みを浮かべて、
「ごめんね、ヨウ」
と、言うのだった。