長編小説

彼女がドーナツを守る理由 35

 新人賞の最終選考候補者が発表された。その中に僕の名前はなかった。

 イツキ叔父は今度は、残念会なるものを開いてくれた。残念会とはいっても、中身はお祝いの会と変わらない。名前が変わっただけだ。けれど、何かにつけて祝ったり慰めたりしてくれる人たちがいるというのは幸せなことだと、しみじみと思った。最終選考に残らなかったことに、予想以上に落ち込んでいた。
「ヨウちゃん元気出して」とアリスが寄ってきて言った。「小説家さんになれなくてもアリスはお嫁さんになってあげるよ」
 可愛い慰めに、つい笑った。
「ありがとう、アリス。でもアリスが大人になる頃には、僕はもうおっさんになってるよ」
「ヨウちゃんもおっさんになるの?」
「なるよ」
「パパくらい?」
「そうだな。パパくらいだな」
「ほんとだ! おっさんだ!」
 アリスはきゃっきゃと笑った。
「こら、アリス。パパはまだおっさんじゃないぞ!」
 酔っ払いのオヤジが言う。
「やーだ。パパおっさんだもん。ヨッパライのおっさんだもん!」
 アリスはべーと舌を出し、周りの笑いを誘う。七歳にしてもう空気を読む能力が備わっているのか、残念会の間中、アリスは子供らしい無邪気さを発揮して場を盛り上げようとしてくれているらしかった。
 落ち込んでなんかいられないな、僕は思った。帰ったら早速、次の作品の構想を練ろう。

「ヨウ、あんまり落ち込むなよ」玄関の外まで見送りに来てくれた叔父が言った。「おまえはまだ若いんだからな。それに、俺の雑誌ならいつでも空きがあるからな」
 叔父の言うことがあまりにもいつもと同じなので、可笑しくなってしまった。
「ありがとう、叔父さん」
 僕もいつもと同じ返事をして、叔父の家を後にした。
 家々の窓が灯りを落とす夜道を僕はぶらぶらと歩いた。叔父の家がある辺りは店もなく住宅ばかりなので、遅い時間には猫くらいしか見かけないのだが、今日は猫すらいなかった。空を見れば、明かりの消えた太陽が浮かんでいる。その姿は巨大な岩のようだ。もしあれが落ちてきたらどんなことになるだろうかと考えてみる。次の小説のネタにしてもいいかもしれない。
 家に着くと、足が自然とガレージへと向かった。ガレージの扉は南京錠で閉ざされており、鍵は僕の机の引き出しに入っている。二年の間、この扉は閉じられたままだった。
 地面に穴を掘り続けていた頃が懐かしくなった。奇跡を信じ、ただ穴を掘り続けた。自分だけに与えられた任務を遂行しているのだと、使命感を持って。
 夢は叶った。『別世界』はあったのだ。けれどそれは夢の世界などではなかったし、悲しい別れも経験した。
 ガレージの扉に手を当てる。何万回と呼んだ名前は、意識する前に胸に浮かんでしまう。扉の向こうの世界を思う心は、ただ虚しかった。

 工房に出勤すると、いつもと様子が違っていた。全員が会議用兼休憩用のテーブルに集まり、その上にある何かを取り囲んで議論をしているようだった。こんなことは今までにない。何か相当珍しい物……宝石でも拾ったのだろうか。
「おはよう。何かあった?」
 行ってみると、テーブルに載っていたのは新聞だった。日付は今日だ。
「あ、オハヨ」リュウが言った。「事件だ」
「事件?」
「太陽が落ちたんだ」
 また別の誰かが言った。どきっとした。つい昨晩、そんなことを考えていたところだ。
「太陽の一部な」
 ボスが訂正した。
『太陽の一部が落下。民家の屋根突き破る』と大きく見出しが出ていた。
 昨日の午後一時頃、木造二階建ての家屋に、太陽の部品である電球の一個が落下。電球は屋根と二階の床を突き破り、一階のリビングの床にめり込んだという。幸い住人に怪我はなかった。
「まさか太陽が……」
 誰かが言った。誰もが落ち着かない顔をしていた。僕も同じ顔をしていたと思う。
 現実に起こったことなのか?
 僕は現実と物語が反転するような、奇妙な感覚がした。現実だとは、とても信じられなかった。

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