「えっ」
と僕が言うのと同時に、エレベーターはすごい勢いで下降し始めた。下降というより、もはや落下だった。そして本当に途中でくるっと一回転し、今度は上昇し始めた。元の場所に戻っているような感覚だったが、そうではなかった。
上昇の勢いは次第にゆっくりになり、やがて、チン、という音と共に止まった。扉が開くと、外で待機していたスーツの若い男によって僕は椅子から解放された。エレベーターを降りた先は、乗る前とはうって変わり、まるで高級ホテルのような雰囲気だった。寄木細工のような床はよく磨かれて、壁に並んだ間接照明(マドレーヌの形だ、と僕は思った)の光を映している。壁は剥き出しのコンクリートではなく、きちんと壁紙が貼ってあった。コツコツと靴音を響かせながら歩く男の後ろに付いていくと、重厚な観音開きの扉の前に来た。いかにも重そうなその木の扉には、凝ったレリーフが施されていた。内側から扉が開かれた時、僕はあっと声を上げた。
「入りなさい」
部屋の中から声がした。それに従い僕は部屋の中へ入った。驚くべき光景があった。部屋は広く、薄暗く、天井がドーム型のガラス張りになっていた。そのガラスの向こうに、星空が広がっていた。満天の星がそこに輝いていた。本物だろうか、と僕は思った。何年か振りに見る星空だった。
「ふん……大して驚かないようだな」
皮肉っぽい笑いを含んだ男の声が言った。ほとんど部屋いっぱいにあるような大きな丸テーブルの一番向こう側に男が座っていた。部屋が薄暗いのと、距離が遠いせいで、男の顔はよく分からなかった。この部屋についている灯りは、テーブルの上にぽんぽんとひと回り小さな円を描いて置かれている十数個のランプだけだった。
「ここは……」
「『外側の世界』だ。君の言葉を借りればな」
「は……」
君の言葉を借りればだと? どういうことだ?
「座りなさい」
距離があるくせに男の声はよく響いた。命令されるままに僕は目の前にあった椅子に座った。図らずも男と真正面から向かい合う形になってしまった。テーブルの上には、まるで僕がそこに座ることを予知していたように、一冊の本が置かれていた。見覚えのある表紙。叔父の雑誌だ。何故か全て回収されるという不運に見舞われた号、僕の『レッド・スター』が載っているものだ。
「どうしてこれがここに」
「ひとつ質問させてくれ」僕の声を無視して男は言った。「君はテロリストか?」
「違います」
僕は即座に否定した。テロリストだって? 何がどうなってそうなるんだ。
「では何故」男は僕の前にある本を指差した。「そんなものを書いた」
「そんなものとは……小説のことですか」
「そうだ。『レッド・スター』だったな。それを書いたのは君だろう」
「そうですが」男の質問の意図が分からず困惑しながら僕は言った。こんなところに連れてきて、一体何の話をしているんだ。「それとテロリストと何の関係があるんですか」
「大ありだ!」
突然の怒声に部屋の空気がビリビリと震えた。僕はまるで突風にあおられたように身体がきゅっと縮こまってしまった。男は呼吸を荒くしていた。ひどく怒っているようだった。
「どういう……ことですか?」
少しの沈黙の後、僕は恐るおそる尋ねた。
「君は、何も知らないのか?」
少しトーンを落とした声で男は言った。
「何もとは……」
男はテーブルに突いていた両手のひらをグッと握り締めた後、落ちるように椅子にドサリと座った。そのまま椅子の背に身体を凭せ掛け、天井を仰いだ。椅子の背がしなり、ギッと音を立てる。
「地面に穴を掘ることが法律で禁止されているのは、君ももちろん知っているだろう」
やがて男は言った。
「知っています……覚悟の上です」
「では、君はやったのだな。だからこちら側のことを知っている。来たことがあるんだろう?」
「はい」
ここは刑務所ではない、とようやく思い至ったのは、この時だった。そうだ、はじめから言っていたではないか。『DBS』と。
ここが、と思うと、感動なのか恐怖なのか、身体がブルッと震えた。
「何故そんなことをした」
「夢のため……です」
「夢のため、だと? ハッ、笑わせるな。それがこの星を滅ぼすことも知らずに」
──二人の恋がこの世を滅ぼすって……
不意にモカの言葉が蘇り、僕はハッとした。
「この星を滅ぼす?」
僕のしたことで、星が滅ぶ……? まさか、本当に起こり得ることだったのか? 頭がガンガンと鳴るようだった。モカのただの『心配』だと思っていた。モカと離れたのは、ただ彼女を苦しめないためだった。法律を犯していることを知りながら穴を掘り続けたのは、ただその先にあるものを夢見ていたから。僕は……一体、何をした?
「教えてください……どういうことですか」
絞り出した僕の声は、テーブルの向こうにいる男に届くかどうか怪しいくらい小さかった。
ハア……とため息をついた後、男は話し始めた。
「この星の特殊な形状が関係している。知っているだろうが、この星の形は環状のチューブで、つまり中は空洞だ。その空洞の部分に住んでいる君たちは外の世界が見えないため、そこが世界の全てだと思っている。そう教えられることになっている。しかし実際は、無数にある星々の中の、ほんのひとつの小さな星に過ぎんのだ。この星の三百万倍の質量を持つ星の周りを回る、取るに足らない惑星のひとつだ。その名は……」
男が一拍置いたので、僕はゴクリと息を呑んだ。この星の名前は初めて聞く。
「その名は、『惑星ドーナツ』……」
「…………」
「…………」
ガラス天井の向こうで、星がひとつ流れた。
「他に何かなかったんですか」
「俺に言うな」