いとこの工房からの帰り道、電球を買うというモカに付いて電気店に寄った。白々と明るい光で満たされた店内の雰囲気は、とても馴染みのあるもので、どこかほっとした。電気店というのはどこでも似た雰囲気になるらしい。もしもこちらの世界でホームシックに掛かったら、電気店に来よう、と僕は思った。入口の自動ドアを抜けてすぐのところに陳列棚があり、そこには何か手のひらサイズくらいの大きさのものが一杯に並んでいた。動物の形をしたものや、昆虫の形をしたもの、あるいは単に丸や四角や三角だったり、見たことのない変な生き物のようなもの。それらは間隔をおいて行儀良く並び、そしてそのどれもが微妙に動いていた。僕は青色の球体に六本の脚が生えたものをつまみ上げてみた。ひっくり返すと、腹に液晶パネルが付いていた。
『You've Got Mail』
の文字がパネルで点滅していた。
「携帯買うの?」
横からモカの声がした。すでに買い物を終えたらしく、小さなビニール袋を手に提げている。
「あ、携帯なんだ、これ……」
僕の手の中でひっくり返された青いやつが、むずがるようにもがき出したので気持ち悪くなって棚に戻した。
「いろんなのがあるんだね。モカの蝶は可愛いけど、これは気持ち悪い」
「あは、何なのかしらね、これ。売れるのかしら」
モカは青いのを手に取って弄んだ。案外気に入っている様子だ。僕は棚に並ぶものたちを眺めた。
「ひとつ買おうかな。でも僕に契約できるのかな。こっちには銀行口座もないし」
「さあ」とモカは少し考え、「できるんじゃない」と言った。
紙一枚に必要事項を記入するだけで契約は簡単にできた。料金は月々コンビニなどで支払えばいいらしい。支払えなかったら利用停止になるだけだ。僕はまるで影か炭のように黒い蜥蜴を一匹買った。
黒蜥蜴に僕はモカの携帯電話の番号と店の電話番号を登録した。電波の届かない場所では、蜥蜴はピクリとも動かなかった。これでは液晶パネル付きの蜥蜴の黒焼きと変わらない。ペットロボットのように動く機能はないものかと、僕は腹の液晶パネルを操作してみた。
「何だそれ」
声がして振り向くと、背後にマークが立っていた。始業前の工房は同僚たちが週末にあった出来事を話したり、コーヒーやお茶を淹れたりしてガヤガヤしている。マークも片手にコーヒーの入ったマグカップを持っていた。
「おもちゃだよ。親戚の子供の」
僕は言った。嘘はついたが、蜥蜴を隠しはしなかった。マークはおもちゃの類に興味がない。蜥蜴は無垢材の作業机の上で死んだようにおとなしくしている。まるで本当にただのプラスチックのフィギュアのようだ。
「そうか」案の定マークはつまらなそうに言い、それから僕の顔をひたと見た。「なあ、最近リリィちゃんと会ってるか?」
「リリィ? いや、会ってないけど」
そういえば最近会っていなかった。祭りの日以来だから、ひと月くらいになるだろうか。あれきり連絡もない。
「いやな、この頃リリィちゃん、おまえのこと全然話さないから。前はヨウくんヨウくんうるさかったのに。どうしたんだろうな。何かしたか?」
「何もしてない」と言ってから、僕はリリィからの誘いのメッセージを無視してしまったことを思い出した。たとえそんなつもりはなかったにせよ、結果的には同じことだ。「いや……したかも」
マークは何故だか、よく分かったというように、うんうんと頷いた。
「そうか、きっとリリィちゃんはつまらんおまえに飽きたんだな」
「つまらんは余計だ」
「紳士なのも結構だがな、行く時はこう……グイッとだな、思い切って理性なんか捨てるんだよ。だからおまえには女ができないんだ」
「ほっとけ。それに何か勘違いしてるし」
「まあ、リリィちゃんに飽きられたからって、あまり落ち込むなよ。女なんか他に幾らでもいるんだからな……そういえばおまえから女の話するの聞いたことないな。おまえ、もしかして」
「ゲイじゃないぞ」
モカのことをマークに話すつもりはなかった。マークにも、他の誰にも、外側の世界のことを話すつもりはなかった。
この世界に住む人々は、ここの他に別の世界があることを知らない。
少し前の僕がそうだったように。
自分たちが住んでいる、この『閉じた』世界が、この世に存在する唯一の世界だと信じている。
何故、なのだろうか。
内側と外側の世界は、そう遠いわけではない──地面で隔てられているとはいえ──僕が自力で行き来できる距離なのだ。きちんとしたトンネルでも造れば、あっという間に繋がることができる。何故、そのことを誰も知らない?
いや、と思い、僕は胸が不穏にざわつくのを感じた。誰も知らないわけじゃない。誰も知らないわけがないじゃないか……。
『知らされていない』のだ。本当のことを知らされず、僕たちはこの中に閉じ込められている。
何故だ。何のために。
もはや開いて手に持っているだけの本から目を上げて窓の外を見上げると、他の家々の明かりが見える。何も知らず、疑問に思うこともなく、幸せに暮らす人々の平和な家庭。我々の中心には、決して落ちることのない太陽が浮かぶ。電球でびっしり覆われた、機械仕掛けの巨大な岩。それを操る者がいる。
太陽庁。政府の行政機関だ。
そう、政府だ。これは政府が行っている隠蔽なのだ。
地面に穴を掘ることを法律で禁じているのもそれで説明がつく。向こう側の世界が発見されるのを防ぐためだ。しかしそうする理由が分からなかった。
何故二つの世界を分けなければならないのか。何故僕たちは閉じ込められなければならないのか?
まるで柵の中の羊だ、と思った。スーツを着た羊飼いに飼われている、僕らはのほほんとした羊なのだ。安全な寝床と餌を与えられ、明るく健康に育つように飼育されているのだ。この閉ざされた世界の中で。
羊たちは広い草原のことなど夢にも見ない。柵の中が世界の全てだ。