「今日の天気予告です。ノース地区は一日中晴れです。傘は必要ありませんから、身軽にお出掛けしていきましょう! イースト地区は午前九時から十一時まで大雨です。午前中にイースト地区へ行かれる方は傘を持っていってくださいね! 絶対ですよ!」
午前七時、アイドルみたいなお天気キャスターが今日の天気を告げるのを聞きながら、僕はキッチンでトーストを齧っていた。ここにも雨が降ったら良かったのに、今日のノース地区はハズレだ。一日中晴れとは。
休日の今日、僕は家に籠もって小説を書くつもりだった。高校生の時に小説を書き始めて以来、休日とは小説を書くための日だった。遊びに出掛けても大して楽しいと思うことはなく、ただただ小説を書きたいと思うばかりだった(だから彼女にも振られたのだろう)。これまでに二編の長編小説を公募に送ったが、どちらも一次選考で落選した。活字になったのはイツキ叔父の雑誌に載せてもらったものだけで、それらは全て大切に保管してある。アクセサリー工房での仕事は楽しかったが、僕は作家として食べていくことを夢見ていた。
小説を書く時、いつも思うのは祖父のことだ。祖父が書いていたのは純文学だった。独特のリズムがあり、香りがあり、世界があった。取り立てて大きな事件が起きるわけでもないのに、不思議とおもしろかった。文章自体が魅力的だったのだ。真似しようとしてもできるものではない。作家としての祖父は僕の大きな憧れだ。僕にも祖父のような才能のひと欠片でもあればといつも願わずにはいられない。
食器を洗って片付け、僕はパソコンのある二階の自室へと上がった。階段を上がりきったところにある窓から外を眺めると、太陽に照り付けられた、見慣れた風景。
「雨、降らないな」
僕はひとりごちた。雨が降っていたほうが集中できるのだが。でも仕方がない。
机に向かって座り、パソコンの電源を入れる。起動するのを待つ間、煙草を吸いながら『モカ』の世界を呼び寄せる。前に文芸誌に送った二編の長編はミステリーだった。今回はSFに挑戦しょうと思っている。アクションの要素があってもいいな、僕は煙を吐きながら考えた。黒いスーツの『モカ』が得体の知れない生物を相手に闘っている様子が目の前に浮かぶ。この世界の本当の姿を、設定として盛り込んでみてもおもしろいかもしれない。内側の世界と外側の世界。もしもこの作品が世に出れば、これを読んだどこかの誰かが、家の庭に穴を掘り始めた僕の先祖のように別世界に想いを馳せたりするだろうか。しかしちょっと地面を掘っただけで厳しい罰則が科せられるから、実際に行動に移す馬鹿はそうそういないだろうが。でも、話題にはなるかもしれない。僕の小説は脚光を浴びて、晴れて小説家の仲間入りを……。都合が良すぎるがゾクゾクするような妄想に(しかし実際こんな妄想でもしなければやってられない)僕は全身に血が駆け巡るような感じがした。煙草を灰皿にギュッと押し付け、パソコンに向き直る。
「よろしく、『モカ』」
モカに会ううち、彼女のことをだんだんと知るようになってくる。
まず、彼女は僕より三つ年上の二十四歳。彼女は占い師だが、良く当たると評判らしかった。
先日、モカは僕の手相を見てくれた。
「ヨウは小説を書いてるんだったわね」
モカは僕の手のひらを眺めながら言った。
「うん。今はまだどこにも相手にしてもらえないけど、いつかプロの作家になりたいと思ってる。どう、叶いそうかな」
「そうね……」
しばらく手のひらを凝視した後、モカは顔を上げて僕の顔をじっと見た。モカはいつも真っ直ぐに見つめてくるので、そのたびに僕は動揺してしまう。かといって目を逸らすこともできず、そのため見つめ合う格好になってしまう。時間にして二、三秒。その瞬間が、僕には永遠にも感じられる。僕はモカの瞳の宇宙に吸い込まれる。もしも本当に吸い込まれてしまったとしても、僕には本望に思えた。モカのあの澄み切った、美しい瞳の中で生きることができるなら……。
「とても複雑」
モカの声で僕は椅子の上の自分の身体に引き戻された。
「え、複雑って?」
モカ自身も複雑な表情をしていた。
「あなたは文章で世の中に大きな影響を与えることになるわ。……でも今あたしに言えるのはこれだけ。嫌だわ。私情が混ざり込んでしまってうまく見えないの。親しい人の占いって難しい」
親しい人……。
モカのその言葉は、僕に占いの結果を忘却させてしまうほどの威力があった。この時のモカの意味深な予言を、僕はこの先ついぞ思い出すことはなかったのである。
モカについての発見はまだある。
彼女の店を出た後、トンネルのある廃工場まで二人で歩いていた時のことだった。他愛のないおしゃべりをしながら、僕は何とかモカの手を握れないだろうかとそのチャンスを窺っていたのだが、モカは急に話すのをやめて立ち止まった。
「何、どうし……」
僕がその短い言葉を言い終えるよりも早く、彼女はバズーカを構えると畑が連なる方向へいきなりぶっ放したのである。三十メートルほど先で、おそらく人間の二倍は大きさがありそうな何か──おそらく何かの生物──が強烈な閃光の中で一瞬黒い影として浮かび上がり、その後跡形もなく消え失せた。モカは顔色ひとつ変えず、『それ』が消えたのを確認すると、元通り背中にバズーカを背負い直し、会話の続きに戻った。まるで何事もなかったかのように。
モカは冷徹な殺し屋だった。
モカが殺すのは異星人に限定されていた。彼女は異星人を発見すると、何のためらいもなく一瞬で撃ち殺した。普段の彼女は本当に優しい、豊かな感情を持った女性なのだが、ひとたび異星人を目にすると、人格も感情も消え失せた殺戮マシーンのようになってしまうのだった。モカはほとんど条件反射のように異星人を殺した。
異星人でも、いろんな人がいるだろうと、僕は思うのだ。ただの観光で来ているのかもしれないし、どこかの会社で働く真面目なサラリーマンだっているだろう。幼い子供を持つ母親かもれないし、婚約中のカップルかもしれない。しかしモカにとってそんなことは全く懸念すべきことではなかった。
異星人である。モカにとって意味のある情報は、ただその一点だけだった。
その異星人がどこの星から来て、どんな目的を持っているのか。彼、または彼女の、年齢、人格、職業、風貌……それら全てモカにはどうでもいいことだった。その異星人がこの星のやって来たことが、すでに死に値するほどの罪なのだ。
モカがそこまで異星人を憎むのには理由があった。彼女の弟は異星人に殺されたのだ。