長編小説

彼女がドーナツを守る理由 24

「異星人をいくら殺したって、弟は帰って来ない」
 殺戮を繰り返すモカを見かねて僕はそう言ったことがあった。言っても意味のない言葉だと分かってはいた。でも言わずにはいられなかったのだ。僕はモカにこれ以上手を汚してほしくなかった。モカは、憎悪に燃えたような目で僕を睨み付けて言った。
「そうよ。弟は帰って来ないわ。でも弟のように奴らに殺される人を減らすことができるわ。死んだら帰って来ないのよ! 分かる?」
 モカが殺し続けているのは彼女自身の怨念だ。僕はそう思ったが、彼女にそんなこと言えるわけがない。
「こんな仕事を続けていたら、モカだっていつ殺されるか分からないんだぞ。異星人が憎いのは分かるけど、君まで死んだら……」
「ねえ、どうしてあたしがこの仕事を任せられてると思うの? それはあたしが何のためらいもいなく奴らを殺すことができるからよ。いくらでもね。この星はその役割を担う者を必要としてるの」
「だからって、何も君がこんなに……」
「殺んなきゃ殺られるのよ! この星が宝石なんかで溢れてるから!」モカは涙をこぼしながら言った。「大切な人をもう失いたくないの。誰かがやらなきゃならないなら、あたしがやるわ」
 あたしが守るの。
 そう言ったモカは、取り付く島もないほど孤独に見えた。とうとう僕は何も言えなくなった。

 二週間ぶりにモカの店に行くと、店には明かりが灯っておらず、『CLOSED』の札がドアに掛かっていた。僕はしばしの間、その札の前で立ち尽くしてしまった。今日は定休日ではないはずだった。モカは今日、用事でもあったのだろうか。具合が悪いのだろうか。それとも異星人の退治に行っているのだろうか。会う約束をしていたわけではないが、結構な時間と労力をかけてやって来たのだし、このまま帰るのはつまらなかった。何より彼女に会いたかった。僕は蜥蜴を使ってモカに電話を掛けてみた。
「もしもし? ヨウ? 今こっちに来てるの?」
 電話はすぐに繋がり、いつになく陽気な声でモカが応じた。雑踏の中にいるのか、背後にざわざわと人の声が聞こえる。蜥蜴電話を使うのはこれが初めてだったので勝手がよく分からなかったが、どうやら蜥蜴を顔の近くに持ってきてそれと会話をするようにすれば通話ができるらしい。モカの声は蜥蜴の口の中から聞こえてきた。モカの声に合わせて蜥蜴がパクパクと口を動かす。なかなか凝っている。
「もしかしてお店に来てる?」
「うん。でも今日は休みなんだね」
 モカの声でしゃべる蜥蜴に笑いそうになりながら僕は言った。
「ええ、今日はパーティーなの。ヨウも来たら? 迎えに行くから」
 三十分後、僕を乗せたモカの車が到着したのは大きな屋敷の前だった。庭にはすでに十五台ほどの車が停まっていた。二階建ての洒落た館は全ての窓に明かりが灯り、前庭の丸く刈り込まれた植木や石畳の小道に柔らかい光を投げかけている。今日のモカは淡いピンク色のワンピースを着ていた。髪型もハーフアップにしていて、いつもとだいぶ印象が違う。小さなクラッチバッグを持って豪邸の庭を歩くモカは、僕の知らないどこかのお嬢様に見えた。
「モカ、本当に僕なんかが行っても大丈夫?」
「大丈夫よ。親戚の集まりなんだから。あと、近所の人と」
 屋敷で開かれているのは、モカのおばあちゃんの誕生日パーティーなのだという。おばあちゃんのお誕生会と聞いて気軽に来てしまったが、立派な屋敷と華やかな雰囲気に気圧されし、僕は早くも来たことを後悔していた。
「この前会ったお兄ちゃんもいるし」
 僕を励ますようにモカは言った。

 ステンドグラスの嵌まった立派な観音開きのドアの玄関に入るなり、走り回っている子供とぶつかりそうになった。ダンスの大会が開けそうなほど広い室内は、色とりどりの風船と色紙で作ったチェーンで飾り付けられていた。床にはクラッカーかくす玉の残骸らしき細切れの紙が残っている。集まっている人たちはモカのように綺麗めの服装の人もいるが、ジーンズやTシャツといったラフな格好の人も多く、なるほど身内の集まりらしい気楽な雰囲気があった。グラスや料理の載った小皿を手に談笑する人たちとすれ違う時、モカは僕のことを友達だと紹介した。
「ええ? 友達? 嘘おっしゃい」
「白状しなさいよ、モカ。こんな子どこで捕まえてきたの?」
 モカより少し年上らしい女性三人組──三人ともまるで王宮の舞踏会に行くみたいにドレスアップしている──に捕まった時には散々からかわれた。彼女たちの遠慮のない質問攻めをモカは笑顔でかわしていたが、その凄まじい応酬に僕は目を回すばかりだった。
 ようやく三人組から解放された後、モカは悪戯っぽく笑って僕に囁いた。
「あれは、いとこなの。三人同い年で、幼稚園児の時からずっとあんな感じなのよ」
「何か、すごいね……」
 ふふっと笑ってモカはさらに部屋の中心へと進んでいった。どさくさに紛れて僕はいつの間にかモカと手を繋いでいることに気が付いた。どちらから繋いだのか覚えていない。あの三人組の輪から逃れる時だろうか。モカは僕の手を優しく握り、導くように少し先を歩いていた。
 主役のおばあちゃんはリビングの中央のソファに座っていた。輝くほどに真っ白な髪をふわふわのアフロみたいにしている。かわるがわる肩を叩こうとしたり、おしゃべりをしたがる小さな子供たちに囲まれ、嬉しそうに笑っているその笑顔は何とも華があり、人を惹きつけるような不思議な魅力があった。可愛い黒い瞳はモカとそっくりだといえるほどよく似ていた。
 瞳だけでなく、おばあちゃんはどことなくモカに似ているところがあった。全体的な雰囲気というか、僕には不思議なものを見る能力なんて全くないが、もしオーラなんてものがあるとしたら、二人のそれはきっとそっくりなのだろうという気がした。
「どうしたの、ボーっとしちゃって。おばあちゃんに見惚れちゃった?」
 からかうようにモカが言った。
「いや……うん。可愛いおばあちゃんだね」
「ふふっ。そうでしょう? おばあちゃんは魔女なんだもの」

 パーティーも中盤になり、いいかげん酔っ払いも出てきたところで誰かがモカに歌をリクエストした。モカは断ろうとしていたが、とうとう押し出されるようにして皆の前に出た。モカはリビングの隅に置かれていた小型のハープを持ってくると、お辞儀をし、椅子に座って弾き始めた。モカがハープを弾くことを僕は今まで知らなかった。そういえばモカの店のBGMはいつもハープの曲だったが……。彼女についてはまだまだ知らないことだらけだ。
「モカちゃん歌ってくれー。昔みたいにさあ、きれーな歌声聞かせてくれよー」
 僕の横にいた酔っ払いが大きな声で言った。
「ごめんなさい、おじさん。もう歌えないの」
 モカはハープを弾く手を止め、困ったように微笑んで言った。
 彼女が綺麗な声で歌うということも、そして今はもう歌わないということも、もちろん僕は何も知らない。

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