長編小説

彼女がドーナツを守る理由 37

 青白い恒星の光が街を照らしている。廃墟と化した街。動くものの気配はない。砂埃の積もった地面に奇妙な足跡のようなものが付いているのを見つけ、モカは背筋が寒くなるのを感じた。
──まだ新しい……。
 シンを見ると、彼も表情を固くしていた。
「シン、『奴』は近くにいるのかもしれません」
「そうだな……いつでも撃てるようにしておけよ」
 モカは腰の両側にある二挺のレーザー銃を確認するようにそっと触った。
 奴──通称『F』
 この星を廃墟にした生物がやってきたのは、四、五年前のことだった。それまでこの星は、高度な科学技術で栄えた豊かな星だったのだ。競うように高層ビルが立ち並び、水陸空を自在に走る車が縦横無尽に行き交う。他星との貿易も盛んで、ハイテク工業製品と引き換えに、珍しい品々、美しい品々が入ってくる。それらの商品が商業を活発にし、星全体が活気に満ちていた。この星の『特産品』ともいえる高度な科学技術は皆の誇りで、技術者、研究者は最も尊敬される職業だった。
 モカは研究者の娘として育った。父親は研究に身も魂も捧げたような男で、ともすれば寝ることも食べることも忘れてしまうような父親だったが、モカは尊敬していた。この星は父のような科学者たちが造り上げたのだ。それは娘としてとても誇らしいことだった。モカもいずれは父のような研究者になることを目標にしていた。
 今となっては見る影もない荒れ果てた街を見ると身を切られるような思いがした。何年経とうと、それは薄れることがない。研究に身を捧げた父は、星が破壊されて以来病床に伏してしまっている。無惨に破壊された街の光景がモカの心にもたらしたものは痛みだけではなかった。めらめらと身を焼くように燃える感情。この星を破壊した生物に対する強い怒り──憎悪だった。心が痛むのと同時に、そして痛みよりも強く、モカは憎悪の炎を燃え上らせた。
 皆殺しにしてやる。モカはそう心に誓った。
 星に破滅をもたらした原因は、皮肉なことにこの星の高度に発達した科学技術だった。研究者たちは、周囲の星々に手当たり次第探査機を送っていた。その内のひとつに、知的生命体の住む星があった。それが『ファンシー星』だった。探査機の訪問を受けたファンシー星人は、送り主である星に自らやって来た。探査機の軌道を逆に辿って来たのだ。やって来た彼らの取った行動は、あまり友好的とはいえなかった。そしてこの星は、丸ごと廃墟のようになってしまったのだった。

 モカの仕事は、街を見回りファンシー星人──すなわち『F』──を見つけ、殺すことだった。しかし『F』は厄介な性質を持っていた。大きさはこの星の住人の大人とそう変わらないのだが、彼らには擬態能力があり、どんな姿にでも化けることができたのだ。しかし弱点もあり、色彩センスに乏しいらしく色までは正確に似せることができていなかった。つまり明るいところでなら、わりと簡単に見破ることができる。モカとバディであるシンは昨日、緑と黄色のまだら模様になっていた郵便ポストと、タイヤまで赤い自転車を狙撃した。『F』は死ぬと黒い液体になる。変な色の郵便ポストと自転車は撃たれて黒い液体になり、『F』であったことが分かった。乾いて固まった死骸を回収班が回収して、所定の場所に廃棄する。『F』は何かに化けて現れ、死ぬと液体になるので、誰も『F』の本当の姿を知らないというのが気味の悪いところであった。
 モカが一年先輩であるシンのバディになったのは去年のことだった。それ以来毎日二人で街のパトロールに当たっている。クールで完璧主義のモカとは対照的に、シンは射撃の腕こそ確かだが、どこか抜けているというか楽天的な人物だった。そこがモカにとっては心配の種であり、また、彼を魅力的だと思う理由でもあった。

『モカ』の物語と並行して、僕は文芸誌に投稿する次の作品を書き始めていた。昼も夜も作品のことを考えていた。風呂に入りながら物語の続きを考え、気付けば三時間経っていたこともあった。そんな中でも『モカ』の物語を書くのはかけがえのない時間だった。その間だけ、僕はモカを失った悲しみを忘れることができた。逆なような気もするが、それが事実なのだった。現実逃避だ、ということも分かっている。
 眠ればモカの夢を見た。思い出と僕の小説とその他関係のないものが混ざり合って、起きてから思い返すと変てこな夢ばかりだ。その中で、繰り返し見る夢があった。モカと最後の別れをした日の夢だ。僕とモカはブロックの上に並んで座り、眼下に広がる街を眺めている。何か言わなければと僕は焦っている。何か上手い言葉を思い付いてモカを説得できれば、彼女を失わずにすむかもしれない。しかし街の明かりは、まるで早送りのようにどんどん消えていく。僕は脳味噌が凍ったように何の言葉も思い付けず、ただ焦ってばかりいる……そして目覚まし時計に起こされ、朝が来たことを知るのだ。寝た気がしない。

 太陽の検査は一週間後にようやく終わった。太陽の光が空に戻った日、僕とマークは夕方の公園でささやかに祝った。
「乾杯」
 と言い、缶ビールを軽くぶつける。
「やっぱり太陽がなきゃダメだな」
 少し明るさを落とし、夕方モードになった太陽を見上げてマークが言った。木々も芝生も家々の屋根もオレンジ色に染まっている。この暖かな色合いは電球ならではだ、とやはり僕は思う。マークはLEDでも変わらないと言うだろうし、実際そうなのかも知れないが。
「異常がなくて良かったね」
「作り直さなくてすむな」
 検査の結果、問題のある箇所は見つからなかった、というのが政府の発表だった。電球の落下は、作業に当たった作業員が締め付けを十分に行わなかったために起こった人為的ミスによるものである。太陽は引き続き使用する。メンテナンス業務に当たる作業員には改めて指導を徹底する。云々。
「テロでもなかったな」
「そんな噂もあったの」
「おまえは……全く、現実世界には興味なしか?」
 現実世界か。僕は以前マークが彼女をつくれとしきりに言っていたことを思い出して可笑しくなった。マークはとても現実的だ。しっかりと地に足をつけて、現実を楽しみ、大切にしている。非現実に片足を突っ込んでまともに現実に目を向けない僕のような人間には、マークのような人物は時に神々しいほど眩しく映る。マークにとって一番大切な現実であるマチルダさんは現在妊娠中だ。
「奥さんの様子はどう?」
 と訊くと、マークはデレデレとしか表現のしようがない笑顔になった。『運命の女』に同じ世界で出会えた彼は幸せ者だ。
「順調だ。だいぶ腹がでかくなったし、顔もふっくらしたしな。母子共に健康。あと二ヶ月ってところだな」
「どっちか聞いた?」
「いや。聞かない」
「気になるくせに」
「絶対、聞かない。産まれてからの楽しみだ」マークはビールをグビグビと飲み、「女の子がいいな」とポツリと言った。
「いいね。可愛いだろうな。マチルダさんの娘だったら」
「手出すなよ」
「はは、気を付けるよ」
 太陽の光はそろそろ消えようとしていた。完全に消えたら、ぴったり七時だ。
「今度のメンテナンス、通常通りされるって聞いたか?」
「うん、聞いた。すぐだね」
 メンテナンスは三、六、九、十二月の初めに行われる。今は十一月中旬だから、あと二週間ほどだ。
「今日精密検査が終わったばかりなのに」
「今度のは必要なくないか?」
「そう思うけどね」
「休みはどうするんだ」
「小説を書くよ」
 即答すると、
「だろうな」
 マークは言って笑った。

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