「ヨウくん、ゾウ」
リリィが指差す先には、小さな可愛らしい目をして、長い鼻を高々と持ち上げる象がいた。
「本当だ。象だね」
太陽の光を受けて、リリィの爪に綺麗に並べられたラインストーンがキラ、と光った。僕には象よりもリリィの爪の装飾のほうが興味深かった。リリィは器用だな、とつくづく思う。
「自分で付けてるんだよね、それ」
「何?」
「爪」
「うん、そうだよ。あ、ヨウくん、キリンだよ」
リリィは僕の手を引っ張ってキリンの柵の前へ行った。
「かわいいね」
嬉しそうにキリンを見上げて言う。
「うん、かわいいね」
日曜日、今日一日晴れる予定の動物園は賑わっていた。大勢、というほどではないが、それなりに多い、カップルや家族連れ、中高生のグループ。動物たちは柵の中で長閑に過ごし、みんな眠そうに見える。五歳くらいの男の子が親に促され、恐るおそるキリンに餌をあげようとしていた。
「パンダが見たいなあ」
園内の案内板を見ながらリリィが呟く。案内板によると、この近くに動物の餌を売っている売店があるらしかった。
「リリィ、餌を買っていこうか」
僕が言うと、
「餌あげられるの?」
顔を輝かせてリリィは言った。
「動物も魚も鳥も絶滅した世界って、どう思う?」
重箱のような弁当箱の中には、ところどころ焦げた玉子焼きが並んでいる。色々な具が入ったロシアンルーレットのようなおにぎり、森のようなブロッコリー、タコの形のウインナー、何かのフライ。動物園近くの公園では、僕たちと同じように芝生に敷き物をしいてランチをしている家族が何組かいた。みんな幸福そうに見える。平和で穏やかな風景。
──『こっち側の世界』はいつでも平和だ。
そう思うと胸がチクリと痛む。
「何それ?」
水のペットボトルを鞄から出しながらリリィは言った。
「科学技術が発展した代償としてさ、ほとんどの生物が絶滅したんだ。人間以外で生きている動植物は、食用に飼育されるだけ。街中に鹿や虎がウロウロしてるんだけど、それらはみんなロボットなんだ」
「うーん」と言ってリリィは顔をしかめた。「かわいそう」
芝生の上を、白と黒のツートンカラーの鳥が歩いている。よく見る鳥だが、名前は知らない。フリスビーをしていた家族が帰り支度を始め、やがて公園には僕とリリィしかいなくなった。
「小説の設定?」
「いや……うん、まあそう」
「おもしろいんじゃないかな。でも、動物園の動物がみんなロボットだったら、ちょっとつまんないよね」
僕はロボットの動物園を想像した。なかなかシュールだ。
三時になると、いきなり大雨が降り出した。僕たちは慌てて弁当と敷き物を片付け、屋根のあるバス停に逃げ込んだ。ざあざあと降る雨を眺めながら、リリィが不思議そうに言った。
「あれ、おかしいな。三十日は晴れのはずなのに」
「リリィ、それ明日」
一時間で雨は止んだ。水洗いが終わったアスファルトは、太陽光を反射してピカピカと光っている。
「あがったね。帰ろ」
リリィはベンチから立ち上がり、僕の手を引いた。リリィの右手の薬指には、ブルーのカットガラスが付いた指輪が嵌っている。僕が作ってプレゼントしたものだ。ブルーのガラスは、リリィの瞳と同じ色だ。
リリィとの日々は穏やかだった。小説家になりたいという僕の夢を彼女は理解し、応援してくれた。僕の書いた小説を読み、感想も聞かせてくれた。僕と違う感性を持つ彼女の意見は参考になった。
付き合い始めて三ヶ月が経った頃、僕が小説を書くのに集中できるようにと、リリィの提案で一緒に暮らし始めた。リリィは家事などはあまり得意ではないようだったが、一生懸命にやって僕の負担を減らしてくれた。ファストフードやカップ麺などいい加減だった僕の食生活も、リリィの手料理によって改善された。リリィは明るく、そこにいるとぱっと花が咲いたようで、始めはリリィの提案に乗り気でなかった僕も次第にリリィとの生活を心地良いと感じるようになった。基本的にひとりでいるのが好きだが、ひとりじゃないのも悪くないと思った。洗濯物を二人で干すのも何だか楽しかった。いつも明るいリリィはハナ叔母のようだった。僕にとってハナ叔母は、幸せな家庭の象徴だった。
イツキ叔父の家族とも、リリィはすぐに仲良くなった。僕が女性を連れて行ったので、アリスははじめ少しむくれていたが、あっという間に僕よりリリィのほうが好きになったようだった。元ギャルで華やかなリリィと、ませた子供であるアリスは気が合うらしかった。アリスはリリィの柔らかくウェーブした金髪を羨ましがった。リリィは、この次来るときは金髪のカツラを持ってきてあげるとアリスに約束していた。