長編小説

彼女がドーナツを守る理由 45

「ところで、星の重力を生み出しているのは地面の質量だ。我々が地面に張り付くように街を形成できるのは、それを引っ張るのに十分な重力を生み出せるだけの質量が足下にあるからだ。分かるな?」
「はい」
「では、『太陽』が浮かぶのは何故だ」
「それは……太陽がある場所──『空』には重力がないから……」
 言いながら僕は、こいつは何を言っているんだ、と思った。『太陽が浮かぶ理由』? そんなもの、『太陽は浮かぶものだから』に決まっている。理由なんかなくても、太陽は勝手に浮かんでいる。その理由を考える者なんかいない……
「ほぼ不正解だ」と、しかし男は言った。「重力がないのではなく、太陽が浮かぶ中心部分では重力が打ち消しあって『ゼロ』になるからだ。言い換えれば、全方向から均一な力で引っ張っている状態だ。この『均一』というのが重要なところだ。バランスが大事なのだ。バランスが常に一定であるように様々な機関が連携して厳しく管理しており、我々DBSがその統括を担っている。それでこのバランスっていうのがなあ……」
 とここで男は急にくだけた口調になり、
「めちゃくちゃ微妙なんだよ!」と呻いた。「マジで簡単に崩れそうになる! 保つのが難しいんだよ。いつもピリピリさせられてるよ。昼も夜も休みなく監視して、それでもどこかで増えたり減ったり……なあ、質量ってさ、さっきも言ったっとおりつまりは『土』なんだけど、土が勝手にあっちやこっちに移動すると思うか?」
「い……いいえ」
「だよなあ! 誰かが勝手に掘ったり埋めたりしてんだよ。せっかく法律作って! 禁じてるっていうのに! 全員牢屋に入れよ! どっかの馬鹿が! ああー、そいつら全員殺したい……」
 机に突っ伏した男からは苦労が滲み出ていた。すみません、どっかの馬鹿です、と僕は申し訳なく思った。男が再び顔を上げた時、目がギラリと光った気がして僕は身を竦ませたが、男は元の調子で話を続けた。
「一応改めて言っておくが、DBSというのが我々の組織の名称だ。こちら側では公の機関だが、君らのところでは都市伝説みたいになっているらしいな」
 男は可笑しそうに言った。
「そう、君らは知る必要がないのだ。我々の存在も宇宙も他の星々のことも知らず、自分たちの閉じた世界をこの世の唯一だと思っていれば良いのだ。何の不満もないだろう? 明るい太陽に照らされ、常に心地の良い気温、多種多様な動植物、異星人による脅威も届かない、安全な暮らし。平和で明るく美しい。まるで楽園だ。完璧に作られた楽園で、平和に暮らしていれば良いのだ。それがこの星の安全に繋がる。君みたいに変な気を起こす連中がいれば、この星はあっという間に崩壊してしまうからな。そういった理由から、君の書いた小説は大変に危険だった。この星の姿そのものだからな。そのため我々DBSが早急に回収した」
「あの……DBSって、何なんですか」
「『ドーナツ・ベース・ステーション』その略称だ。元々この星は宇宙基地だったのだよ。その名称を引き継いで今ではこの星の管理を行う機関をそう呼んでいる。ここから何百万光年の彼方にある、とある銀河の端のほうにある小さな惑星が我々の祖先の故郷でな。青く豊かな星だったらしい。ワームホールは知っているか?」
 僕は頷いた。ずっと前にモカから聞いたことがあった。宇宙空間を短縮するトンネル。その話もまた、僕は非現実的なファンタジーくらいにしか思っていなかった。しかし目の前の男はその名を大真面目に口にしている。
「よろしい。遠い昔、我々の祖先は青い星『地球』で宇宙にある他の星々の研究をしていた。そしてこの星を発見した。大気の状態や温度が安定しており、成分も地球のものとよく似ていたため、人類の移住先として有望視されていた。同じ頃、ワームホールの開発も進められていた。研究チームは地球とこの星をワームホールで繋ぐことに成功し、ネオ・ギャラクシー号と名付けた宇宙船でこの星へやって来た」
 前にモカが言っていたことを思い出していた。
──ねえ、あたしたちの祖先が住んでいたのは遠くの青い綺麗な星だったって本当かしら。
 モカのその『物語』をこの男が引き継いでいるようだった。
 いや、でもこれは物語じゃない。これは現実の話……なのか?
「彼らは何度となく二星間を行き来した。ワームホールは快適そのもの。本来なら一生かかっても辿り着けない距離を一瞬で移動できる。居住施設が次々に建設され、民間人の移住も順調に進んでいた。問題は何もないように思われた。しかしそのワームホールは実は、言わば『偶然の産物』であり、構造の解析もろくにされていない未完成品だったのだ。事件が起こったのは、誰もがワームホールの存在を当たり前のものとして受け入れ始めていた頃だった。ある日、地球を出発したネオ・ギャラクシー号がワームホールを通過中に消息を絶った。五十名の民間人と五トンの物資を乗せていた。彼らはどこに消えたのだと思う?」
「さあ……」
 僕に分かるわけがなかった。
「ブラックホールに呑み込まれたのだ。今もきっとその中を彷徨っている」
「……」
「二百年ほど前の話だ」言葉を失っている僕を尻目に男は淡々と話し続ける。「ワームホールを形成していた二つのブラックホールが突如分離してしまったために起こった事故だった。ネオ・ギャラクシー号を呑み込んだワームホールは出口を失くし、元の全てを吸い込むだけのブラックホールに戻ってしまった。分離の原因が調査されたが、そんなものはただの茶番だ。元々が自然の気まぐれだったのだ。そして地球とこの星を繋ぐ道は消え失せ、我々の祖先はこの星に取り残された。そこから独自に発展を遂げ、今に至るというわけだ」
「この星には元々人類は住んでいなかったんですか?」
「うん? そのようだな」
「僕たち『内側』の人間も、あなたたち『外側』の人間も、その、チキュウ……からやって来た」
「そうだ」
「では何故、『内側』と『外側』で分けられなければならなかったんですか? 僕たちはお互いの存在を知らず、法律によってこの先一般の人間がもう一方の世界の存在を知る可能性も閉ざされている。何故ですか。お互いの存在を隠す意味は?」
 どうして僕とモカは別れなければならなかったのか?

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