長編小説

彼女がドーナツを守る理由 10

 三ヶ月に一度、世界には真っ暗闇が訪れる。
 世界に四つ浮かんでいる太陽は、巨大な機械であるため、定期的に大掛かりなメンテナンスが必要だ。ヘリコプターで作業員が太陽に降り立ち、検査や部品の交換、修理を行う。太陽の内部に入って発電機の調子を調べたり、太陽表面を覆い尽くしている電球を交換したりするのである。太陽のメンテナンス作業は、サウス、ノース、イースト、ウエストそれぞれの地区にある『太陽局』(太陽を管理している機関だ。日常の監視や燃料補給などの業務を行っている)の職員が行うのであるが、太陽に降り立つことができるのはほんの少数の限られた人間だけなので、それは大変栄誉なことなのである。太陽のメンテナンス作業員は小学生の憧れの職業ナンバーワンだ。定期メンテナンスの期間は三日間に渡り、その間電源が落とされるので、太陽の明かりは消えたままになる。つまり三日の間夜が続くのだ。
 長い夜の間、役所や病院、郵便局などは開いているが、学校は休みになる。学校が休みになる理由は、暗いと子供たちには危険だからだ。会社などは、それぞれの判断に委ねられている。休みになる会社は、「いい会社だ」と羨ましがられる。統一して休みにしようという運動も広まってきているらしい。ちなみに僕らの工房は休みになる。ボスのナハトムジークは、夜が続くことを幸いに、三日間寝倒すらしい。

 一日目の朝、九時からもう花火が上がっている。ドオン、と音が響き、空中に大きな光の花が咲く。それに続いて上がる大きな歓声。ぱらぱらと散る花火の雫。
 僕は缶ビール片手にソファに凭れ、窓の外に上がる花火を眺めていた。
 自分の部屋として使っている二階の一室の窓からは、運良く空中で繰り広げられるショーの全景を眺めることができた。近くに湖があり、船の上から花火が打ち上げられているのだ。この花火はメンテナンス期間の恒例行事となっている。世界各地で、花火を皮切りにしてお祭りが始まる。三日間の長い『夜市』の始まりだ。
 自分の部屋という最高の見物スポットで見る花火を僕はいつも楽しみにしていた。
 ドン、と音がし、またひとつ花火が咲く。傍らに置いていた携帯電話が鳴った。着信を見るとリリィからだった。
「ヨウくん、リリィです。今日何してる?」
「部屋で花火見てる」
「部屋って自分の部屋で? 何で?」
「よく見えるんだ。うちの部屋」
「ふーん。ヒマ?」
 ヒマじゃないよ、花火見物中だ、とは女の子にはさすがに言えなかった。
「うん、ヒマだよ」
「リリィも学校休みでヒマなの。ねえ、ヨウくん、お祭り行かない?」
 そういうわけで僕はリリィと祭りに行くことになった。

 花火の打ち上げが行われている湖のほとりで待ち合わせをした。湖の周りには屋台が立ち並び、大勢の人がクレープやホットドックを手に賑やかに花火を見物していた。待ち合わせの目印にした船のオブジェのところで花火を眺めながら待っていると、カコカコ、と変な靴音を鳴らしながらリリィがやって来た。
「ごめんね、待った?」
 急いで来たのか、息を切らしながらリリィが言った。
「いや、今来たところだよ」
 僕は言い、何だかデートみたいだな、と思った。
 いやいや、デートじゃない。これはデートなんかじゃないぞ。何となく僕は、自分のその考えを打ち消した。思えばリリィと二人だけで会うのはこれが初めてだった。
 今日のリリィはいつもと違う感じの恰好をしていた。いつもはミニスカートやノースリーブなど露出の多い服を着ているが、今日は足首まで布のある服を着ていた。肩や腕も出ていない。ワンピースのようだが、裾がひらひらしておらず、全体が大胆な花柄で、袖が福耳の耳たぶのように垂れ下がっている。腰は太いリボンで結われている。髪型も違っていた。普段は肩に垂らしている柔らかそうな金髪を、今日は頭の上に盛り上げて、しゃらしゃらと鳴る飾りの付いた棒で串刺しにしていた。奇妙な恰好だ。しかしそれはリリィに良く似合い、とても可愛らしく見えた。
「珍しい服だね。どこで買ったの」
 僕はわざと何でもないような調子で言った。実は少し動揺していた。
「インターネットだよ。変わった服でしょ。リリィも初めて着た。ユカタっていうんだって。女の子を可愛く見せてくれるっていう言い伝えがあるんだって、マークが教えてくれたの。どう?」
「うん、可愛いよ」
 お世辞でなく、本心から僕は言った。今日のリリィは、可愛い。元々美人なのだ。ケバケバしい飾りがなくなると良く分かる。
「本当?」リリィはぱあっと華やいだ笑顔になった。「マークが言うにはね、男を落とすにはユカタが一番だって。これでヨウくんもイチコロだって」
 僕はつい吹き出した。リリィ、それを言っちゃ台無しだ。中身はいつものリリィのままだな。でも今日は、リリィのそんなところも微笑ましく感じた。ユカタの魔力か。おそろしい。

 裾のすぼまった服が歩きにくいのか、履物が不安定なのか──それは先端が斜めに削ぎ落とされて接地面が小さくなっており、見るからに不安定そうな形をしていた──リリィは小さな歩幅でうつむき加減に歩いていた。気を抜くと転ぶと思っているのか、いつものおしゃべりも止んでいる。リリィの頭の上のおだんごを串刺しにした棒の飾りが、彼女の顔の横で揺れて、しゃらしゃらと涼しげな音を立てた。
──リリィってこんなにも可愛かっただろうか。
 僕は思い、少しドキドキした。リリィが小さく儚い存在に見え、思わず彼女をかばって歩きたくなったが、もう少しのところでそれは思い留まった。
 湖の周りには、ありとあらゆる種類の屋台が出ていた。僕とリリィはそれらを順番に見ながら歩いた。通りは家族連れやカップルで賑わい、時折リリィと同じような服を着た女性とすれ違った。お祭りの日に着る定番の服なのだろうか、と僕は思った。

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