「ヨウくん、射的があるよ。しようよ」
リリィが言い、二人とも三回ずつ撃った。リリィは何も当たらなかったが、僕はクマのマスコットを撃ち落とし、それをリリィにあげた。
広場ではカラオケ大会をやっていた。特設ステージが組まれ、ステージの両サイドに設置されたライトがステージ上に強い光を放っている。僕とリリィはステージの前に集まった観客とは離れた場所にあるベンチに座り、買ってきたクレープとホットドックを食べながらステージを見物した。先ほど僕があげたクマのマスコットを、リリィはブレスレットみたいに手首に付けていた。ステージ上では、ゴシック調の派手なドレスに身を包んだ女性がアコースティックギターをかき鳴らしながら歌っていた。その熱唱ぶりがおもしろく、二人で笑いながら聴いた。
「ねえ、ヨウくんはリリィのこと子供だと思ってる?」
不意にリリィが言った。ギターの女性が歌い終わったところで、見物客から拍手と歓声が上がっていた。
「え?」
僕はリリィの予想外の言葉に驚いた。それはリリィを子供だと思っていなかったからではなく、本当に子供だと思っていたからだ。
「そんなことないよ」それでも僕はそう言った。リリィのことは嫌いではなかった。傷つけずに済ませられるのなら、そうしたい。「二歳しか違わない」
「その二歳が大きいの」
しかしそう言って僕を見たリリィは、今まで見たことのない真剣な顔をしていた。
「この間ね、駅で会った時……偶然なんて嘘なの。ヨウくんのこと待ってたの。マークに情報流してもらって」
「え」
「ヨウくんに会いたかったの。どうしてもヨウくんに会いたくて……」
「……」
「ヨウくん、リリィね……」
その時リリィの目に映った僕は、どんな顔をしていたのだろうか。リリィはその先の言葉を言わず、ただ僕の顔を見つめていた。
「似顔絵いかがですか? カップルさん」
丸い赤鼻を付けた道化師が近付いて来て言った。
「似顔絵だって! 描いてもらおうよ、ヨウくん」
ぴょんとベンチから立ち上がったリリィはいつもの調子に戻っていた。道化師にユカタを誉められ、やだあ、と言いながら嬉しそうに笑っている。僕はほっとしていた。
リリィの言葉を最後まで聞かずに済んだことにほっとしていたのだ。
幻想的な色とりどりのランプも、祭りの日だけに出る屋台も、すぐ近くで打ち上げられる花火も、もはや楽しいものではなくなっていた。もう帰りたいと思っていた。
僕は最低だ。
小学校高学年の時、クラスで仲の良い女の子がいた。ショートカットでスポーツが得意で、話すことは専ら前日に観たお笑い番組や雑誌で連載中の人気漫画のことだった。男子っぽい話題で盛り上がることができるので、とても気楽だった。僕はその子に対して男子と同じように接していたし、その子もそれを望んでいると思っていた。ある日突然、その子に「好き」と言われた。付き合ってほしいと言われた。僕は意味が分からず、邪険な態度で断ってしまった。ショックだったのだ。友達だと思っていたのに。恋だの付き合うだの、「女子」が好きそうなそれらのことに、僕らは無縁だと思っていたのに。次の日から普通に友達に戻るものと思っていたが、その子はそれ以来一切僕と口をきいてくれなくなった。クラスの他の奴らから見たら、僕とその子は『完全に両想い』だったそうで、後日女子どもに散々罵られた。僕は二度とその子の笑顔を見られなかった。
中学の時の同級生に個性が強めの奴がいた。本人は何か変わったことをやってやろうという気は毛頭ないのだろうが、何をやっても何か人と違う、ある意味目立つ奴だった。僕はそれをおもしろいと思い、何かにつけて絡んではからかっていた。まわりはみんな笑っていたし、本人も笑っていた。ある日の帰り道、僕は偶然その同級生がひとりで帰っているのを見かけた。彼の後ろ姿は、まるで泣いているように震えていた。僕にからかわれながら、彼が本当は笑っていないことに気が付いたのはその後のことだった。
よく知らない後輩に告白され、初めて彼女ができたのは高校二年生の時だった。その時が初対面だったのにオーケーしたのは、彼女がわりと可愛かったからだ。付き合い始めて半年経った頃、それまで穏やかだった彼女が突然怒り出し、聞いたこともないような言葉で喚き散らした挙句、僕の元を去っていった。彼女が一体何に激昂したのか、今でも分からない。
僕は、他人の心が分からない。相手の気持ちを想像したり、慮ったりする能力が欠落しているんじゃないかと思う。
どうしていつも、人を傷付けてしまうんだろう。
南京錠を外してトタンの扉の中に入る。被ったヘルメットのライトを点けると、僕は穴に潜り込んだ。暗闇と静寂と土の匂いが僕を包み込む。こんな日は地面に潜ってしまうに限る。ロープを伝って降りられるところまで降り、重力の圧が掛かる地点を過ぎ、壁面に固定された梯子を登る。
完全にひとりきりの世界。見えるのはヘルメットのライトに照らされた小さな丸い範囲だけで、自分の立てる物音以外、何の音も聞こえない。土ばかりの代わり映えのしない風景。僕は何も考えなかった。何も考えないように努めた。少しでも気を緩めると、リリィの顔を思い出し、自責の念で消えてしまいたくなる。罪悪感、後悔、自分への嫌悪感。
どうしてリリィのような善良な子が僕なんかに傷付けられなければならないのだ。僕なんかが存在することに何の意味があるんだろう。
リリィ、ごめん。どうか僕のことなんか忘れてくれ。
僕はきっと逃げようとしているのだ。リリィから、人生から、よく分からないこの世界から。誰もいない地底の世界へと。
頭上からいきなり大量の土が落ちてきた時は、一瞬何が起こったのか分からなかった。いつものように電動ドリルを使って頭上に固まっている土を削っていたのだが、それがドドドッと突然崩れたのだ。ビニールシートでも防ぎ切れず、僕は盛大に土を被ってしまった。頭や服に掛かった土を払い落とし、何が起きたのかと上を見ると、そこにはぽっかりと穴が開いていた。
穴の外から、明るくはないが光が差し込んでいた。新鮮な空気の匂いもした。僕は息を吞んだ。動くこともできなかった。ジーザス、と唱える代わりに、じいちゃん、と僕はつぶやいていた。
何てことだ。信じられない。
その時僕の目は、穴の外に光る小さな点を捉えた。はっとして目を見開くと……僕はほとんど飛び上がるようにして穴の外へ出た。
黒い空間が広がっていた。どこまで広がっているのか、果てがあるのかも分からない広大な闇だ。そしてその闇の中に、キラキラと輝く無数の宝石が散らばっていた。
まばゆく光る、小さな、無数の……。
「星だ」
僕は口にしていた。