長編小説

彼女がドーナツを守る理由 13

「支局長、不審者一名確保しました」
 モカが先程までとは打って変わったきびきびとした口調で言った。すると隣の部屋から、どっしりとした体格の中年男性が姿を現した。青い制服を着ている。手にはコーヒーカップ。身体が大きいせいで手に持ったコーヒーカップがとても小さく見えた。
「モカ、君の仕事は異星人の排除だろう。何故人間を連れてきた?」
 彼は気怠そうな態度で、不審そうに僕を眺めまわした。
「私のレーダーが侵入者を捉えたのです」
 モカの言葉に、男の目つきが変わった。ピク、と眉が吊り上がり、眠そうだった目が鋭くなる。
「なるほど……では君、こちらへ来なさい」
 たった一言で『支局長』が納得したことに驚きながら、僕は彼に続いて隣の部屋に入った。そこは殺風景な小部屋だった。ブラインドの下りた窓があり、その下にスチール製のベンチとスタンド式の灰皿がある。そして左右の壁にドアがひとつずつ付いていた。
「こっち」
 と、支局長は左側の部屋に入り僕に手招きした。部屋に入る前にドア横に貼り付いているプレートを見ると、『検査室』と書かれていた。
 蛍光灯の明かりが部屋の中を白々しく照らしている。グレーのタイルの上に雑然と並ぶ幾つもの機械類。病院にあるような全身をスキャンするものもあれば、拷問に使う電気椅子かと思うような恐ろしい見た目のものもある。それから、どんな使い方をするのか見当も付かないような奇妙な機械。
「すまないが少し検査させてもらうよ」
 支局長は僕をパイプ椅子に座らせ、頭にヘルメットのようなものを被せてきた。重い。そして彼はモニターの前に座り、映し出される波形に見入った。
「何ですか?」
 僕が訊くと、
「ひみつ」
 と彼は答えた。こっちの人たちは秘密主義なんだなと僕は思った。それから僕は幾つかの検査を受けた。全身のスキャン、レントゲン、血圧測定。呼気や血液を採られたり、ランニングマシーンで息が切れるまで走らされたり、カラフルな砂嵐の中に何が見えるか尋ねられたり、三メートルほど離れた籠に手足を使わずボールを入れろと言われたり。
 検査が終わると、事務室──最初に入った部屋だ──で食事が出された。アルミニウムのトレイに、紙ケースに入った料理(肉と野菜の煮込み)と薄紙に包まれたパン。添えられているスプーンはプラスチック製だった。料理の味はまあまあだった。不味くもなく、かといって美味くもなかった。食事の間、支局長は側にいなかった。僕は、監視カメラで撮られた食事風景を、支局長が別室──きっとあの検査室で──で見ている気がしてならなかった。食事を終えると検査室の向かいの部屋に入れられた。高い位置に鉄格子の嵌まった窓のある部屋で、簡素なベッドと洗面台があった。
「もう遅いから休んでいきなさい」
 と言い、支局長は電気を消してドアを閉めた。鍵を掛ける音はしなかった。くたくたに疲れていた僕はベッドに入るとすぐに寝入った。

 目が覚めた時、窓の外はまだ夜だった。枕元に置いていた携帯電話で時刻を見ると午前二時半だった。まだ夜中か、と思い二度寝しかけて、何か変だと気が付いた。昨日モカに捕まったのはこっちの世界の夜遅い時間で、その時僕の携帯電話の時刻では午後三時だった。それから十二時間近く経つのに、どうしてまだ夜なんだ? 僕は釈然としないまま、とりあえずベッドを出て、電気を点けて顔を洗った。
 事務室へ入ると、支局長がデスクでコーヒーを飲んでいた。
「おはよう」
 と彼は言った。
「今、朝なんですか」
「うん、朝だよ」
 支局長は読んでいる新聞から目を離さずに言い、コーヒーを啜った。家庭の親父みたいだ。
「暗いですね」
「そう?」彼は窓に目を遣った。「いつもと同じだけど」
 僕が口を開きかけると、彼は、
「ところで」と言った。「君の検査結果だが」
「はい」
 僕は緊張して支局長の次の言葉を待った。こっちの世界の基準が分からないため不安だった。結果が悪ければ強制送還、あるいはこの場で消されるか。バズーカ砲を構えていたモカの姿が僕の頭をよぎった。
「えーっと、視力、脈拍、筋力、持久力、凡人レベル。脳波、並み」支局長はプリントアウトされたデータをまるで賞状のように掲げて読み上げた。「血液、呼気、皮膚組織、毛髪にも変わったところはなし。ベル星のポルノにも反応なし」
「はい?」
「まあ気にするな。変な超能力もないな。ボールの検査ができなかったからって落ち込むことはないぞ。あれができてたら君を帰すわけにはいかんからな。結論を言うと、君は人間だ。モカが連れてきたとあって人間に変装した異星人かと疑ったが、君はどうやら本物の人間らしい。特に特殊能力などのない人間の凡人だ。危険な生物ではないし、危険人物でもないよね?」
「はい」
「じゃあ良し。帰っていいよ。迷惑かけたね」
「……いえ、ありがとうございます」
 いせいじん。
 いせいじんって何なんだ。
 僕は支局長に尋ねたくてたまらなかったが、ここでは常識らしいそのことを訊くのは躊躇われた。変なことを言うとまた拘束されかねない。僕は一礼して建物を出た。
「おつかれさん」
 振り向くと、支局長(結局、何の支局だったんだ)がトーストを齧りながら手を振っていた。
 入口の横に赤い車が停まっていた。
「支局長、何て?」
 後ろから声がした。振り返ると、モカが立っていた。
「危険な生物ではないと判断したって」
「そう。良かった」
 モカの声は平坦で、本当に良かったと思っているのかいないのか、判別が付かない。
「ずっと待ってたの?」
「まさか」と言って彼女はバングル型の腕時計を見た。「二時間くらい待ったけど」
「ごめん」
「いいのよ。こちらこそごめんなさい。捕まえたりなんかして」
 殺されかけたしな、と僕は思ったが口には出さなかった。
「この星の安全を守るのがあたしたちの任務なものだから」
「この星……?」
 僕には彼女の言葉の意味が分からなかった。星とは空に光る小さな点のことではないのか? モカの顔を見たが彼女は申し訳なさそうな表情を浮かべているだけで、答えになりそうなものは見出せなかった。この街の名前が『星』というのだろうか? 僕はフワフワと現実感がなくなるような不思議な感じがした。使っている言語は同じなのに、彼女のしゃべることは分からないことだらけだ。もしかしたら僕は夢でも見ているのだろうか。
「お詫びをするわ。そうね、何が良いかしら……」
「モカ、僕は別の世界から来たんだ。その、地面の裏側から」
 僕は言った。夢でも現実でもどっちでもいい。僕は彼女に頼みたいことを瞬時に思い付いていた。そのためには、まず事情を説明しておいたほうが話が早いと思ったのだ。真剣に話したつもりだったのだが、彼女は、
「まあ」と言って曖昧に笑った。「危険な生物ではないと判断されたと聞いたけれど……」
「危険じゃないよ、もちろん」僕は慌てて言った。「君にも、ここの人たちにも危害は加えない。地面の裏側から来たっていうのは本当の話なんだ。僕は昨日、初めてこっちの世界に来た。君も見ただろ、あの穴を通って……話せば長いんだけど」
「時間ならあるわよ」
 モカは腕時計をちらっと見て、茶化すように言った。

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