長編小説

彼女がドーナツを守る理由 14

「じゃあゆっくり話すよ」
「いいわ。ところで何故あたしにそんな話を?」
「君に頼みたいんだ。教えてくれないかな、こっちの世界のこと。どんな世界観──いや、どんな社会なのか。常識とか、習慣……流行ってるものとか。それに、あれのこと」
 僕の指差した方向を追って空を見上げたモカの横顔を見て、それから、と僕は思っていた。
 それから、君のことも……。
「星のことかしら。話せば長くなるわ」
「時間ならあるよ」
「オーケー。じゃあそれで許してくれるかしら? あなたを異星人扱いしたこと」
「いいよ」
「じゃ、行きましょう。まず街を見なくちゃね」
 そう言って車のほうへ行きかけたモカに僕は、
「待って」と言った。「歩いて行かない?」
「歩きたいの?」モカはおもしろそうに僕を見て言った。「変な人」

 昨夜はゴーストタウンのようだった街は、モカによると午前十時だという今、嘘のように人出があった。道路を絶え間なく車が行き交い、道行く人は皆ファッションショーのようにスタイリッシュな服に身を包み足早に歩いてゆく。ビルの窓々の明かりや看板のネオンサイン、歩道を彩るイルミネーション。洪水のように光が溢れる。昨日の死んだような街と同じだとは思えないような華やかさだ。あまりの違いように呆気に取られている僕に、
「どう?」とモカは言った。「気に入った?」
「賑やかだね」僕は周囲を見回しながら言った。「こんなに人がいたなんて。それにみんな忙しそうだ」
「朝だしね。仕事中の人とか、ショッピングする人とか。このあたりは中心街だから、ここの人たちはみんな本当に忙しそう」
 朝だとモカは言うが、僕にはその実感が全く湧かなかった。空は夜と変わらず真っ暗なままだ。街の明かりで多少見えにくくなっているが、星も変わらず輝いている。
「太陽は?」
 僕が訊くと、
「タイヨウ?」とモカは首を傾げた。「何それ」
「えっ、太陽、知らない?」
「知らないわ。何なの?」
 僕は驚いてしまった。太陽を知らない? こっちの世界には太陽がないのか? 僕はモカに太陽の説明をした。するとモカは、眉をぎゅうっと寄せて言った。
「そんなもの怖いわ。電球だらけの巨大な機械が宙に浮かんでるだなんて。落ちたらどうするの」
「落ちないよ。太陽は安全なんだ。コンピューター制御で明るさが調節されるんだよ。朝になると明るくなって、夜には暗くなる」
「それならこちらも同じよ。朝には明るくなるわ」
「どこが?」
 僕は暗い空を見上げて言った。
「街よ。明かりが灯るわ」
 淡々とモカは言う。こちらではそれが常識なのだ。僕らの世界の太陽のメンテナンス期間のようなものか、と僕は思った。しかし太陽のメンテナンスは三日で終わるが、ここではその夜がずっと続くのだ。何だか信じられない話だ。色とりどりの光で華やぐ街の景色は綺麗だが、やはりこれが日常の朝だとは到底思えない。
「僕には夜景に見えるな」
 笑いながら僕が言うと、
「夜には真っ暗になるわ」
 とモカが真面目に言った。

 運命の女は出会った瞬間に分かるんだ、と、マークが言っていたことを思い出していた。

 テーブルを挟んで向かい合った、その美しい女性の傍らには、いかついバズーカが鎮座していた。
「いつもそれ、持ち歩いてるの」
「そうよ。いつ必要になるか分からないでしょ」
「軍人?」
「いいえ。あたしの職業は占い師。これは」とモカはバズーカに目を遣って言った。「警察に願い出てやらせてもらってるの。武器もそこからの借り物。普通は一般市民にこんな仕事はさせないんだけど、あたしには特殊な能力があるから、特例」
「そういえば、レーダーが何とかって」
「ああ」モカは小さく笑った。「そう、それのこと」
「レーダーって、何か感知して画面に表示されるやつ? その機械を持ってるってこと?」
「勘のことよ。簡単に言うと」
 素っ気なくモカは言い、グラスに入ったレモン色の液体をストローで吸い上げた。液体の中で、赤や青の花火みたいなものが絶え間なくパチパチと弾けているのが透明なグラス越しに見える。一体どんな飲み物なんだろうと僕は不思議に思った。ファミリーレストランのような雰囲気の店のメニューには、聞いたこともないような名前がずらりと並んでいた。その中で、僕にも分かる唯一の名称、『コーヒー』を注文すると、ジョッキに入った葡萄色の液体が運ばれてきた。恐るおそる飲んでみると、それは胡瓜みたいな味がした。思わず顔をしかめた僕に、
「美味しい?」
 とモカが笑いながら尋ねる。その彼女の胸元に、大きな赤い石のペンダントが輝いていることに僕は気が付いた。それは店内の照明を受けて炎のように揺らめき、見る者を幻惑するように妖しい光を放っていた。
「君のそのペンダント……」僕はそれに目を奪われたまま言っていた。見たことのない輝きだった。「すごく綺麗だ」
「そう? ありがとう」
「その赤いのは?」
「レッドフレイムだけど」
「えっ、本当に? ごめん、見せてもらってもいい?」
 興奮と緊張と疑心がないまぜになりながら僕が言うと、モカはペンダントを首から外してくれながら不思議そうに言った。
「レッドフレイムが珍しいの? こんなのその辺でいくらでも売ってるのに」
「いくらでも?」
「ええ」
モカはテーブルに指先で触れた。するとその表面に、インターネットの検索画面が映し出された。さっきまで普通の木目の天板だと思っていたものがいきなりディスプレイに変わったことに驚いている僕にはお構いなしに、彼女は慣れた手付きでタッチパネルを操作し、どこかのショップのサイトを開いてみせた。『レッドフレイム』と入力し、検索をかける。するとレッドフレイムを使ったアクセサリーがたくさん出てきた。その件数は切りもないほどあり、しかも信じられないくらい安かった。うちの工房で扱っている、ガラスやアクリルのアクセサリーの値段と変わらない。あのレッドフレイムが。
「本物?」
 と、つい尋ねると、
「もちろんよ」とモカは言った。「レッドフレイムはそう高いものじゃないから、このくらいの値段が普通よ。もっと高い宝石も売ってるわ」
 モカは宝石の一覧を出した。ダイヤモンド、サファイア、エメラルド、トパーズ、ルビー、それにレッドフレイムよりもさらに希少といわれるブルーフレイムまで。これら全て、通信販売で購入できるというのだ。図鑑でしか見たことのない宝石が、まるでお取り寄せグルメのように……。衝撃のあまり僕は言葉を失った。楕円形をしたモカの大きなレッドフレイムが、そんな僕を嘲笑うかのように、掌の上でゆらゆらと妖しい光を放っている。モカは画面から顔を上げ、石像と化した僕にふわりと微笑んだ。
「でもその石は特別。あたしが生まれた時に与えられたものだから。あたしのお守りなの」
 そう言ったモカは、柔らかな優しい表情をしていた。

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