カウンターの上に開かれたページには、指輪のデザイン画が並んでいる。植物の蔓のような、滑らかな曲線。そこに木の実を思わせる赤い粒が付いている。マークの得意とする有機的で繊細なデザインだ。これはまた作るのが大変そうだな、と僕は思った。しかし美しい。少しずつ変化を付けたバリエーションが幾つか並んでいたが、そのどれにも赤い粒が付いていた。
「いいじゃん。綺麗だね。この赤いのはカットガラス? アクリル?」
「レッドフレイムだ」とマークはきっぱりと言った。「俺は天然のレッドフレイムを使いたいと思っている」
「はあ? レッドフレイム? 冗談だろう」
僕は驚愕してしまった。
レッドフレイム。それはこの世で最も希少な宝石のひとつだ。そもそも今の世の中、大金持ちでもない庶民が本物の宝石を所有していること自体ごく稀なことなのだ。我々が持つことができるのは、カットガラスやアクリル、レジン等で作った宝石のイミテーションだけだ。
宝飾品となるような価値のある鉱物は百年以上も前に採り尽くされてしまい、現在では法律により地面に穴を掘ることすら禁止されているので新しい宝石が出てくることはまずない。天然の宝石というのは、そのままアンティークの代名詞だ。その中でもレッドフレイムというのは元々の数が少ない上に、『赤い炎』を意味するその名の通り揺らめく炎のようなミステリアスな輝きを内包しており、コレクター人気が非常に高い。たまにリフォームやリペアでアンティークジュエリーを預かることのある工房にいてさえ、これまでに一度もお目に掛かったことがなかった。
「どうしてもレッドフレイムを使いたいんだ。ヨウ、何とか方法はないだろうか」
マークがいつになく真剣に言っているのが分かった。その目は変な熱に浮かされたようにギラギラとしている。
「何とかって言っても……」
何ともならないだろうとしか思えなかった。レッドフレイムを手に入れるなど、『太陽をひとつ盗んでくる』くらいに非現実的なことだ。
「ねえ、ヨウくん、レッドフレイムって何?」
リリィが言った。一般に出回ることがないため、世間での──特に若い人の──レッドフレイムの認知度は低い。
「宝石だよ。赤いやつ」
「宝石って?」
中には宝石すら知らない人もいる。
「石だよ」僕はできるだけ分かりやすく説明しようとした。「石なんだけど、透明感があって、大抵の場合色が付いてて、アクセサリーなんかに使われるんだ」
「カットガラスとは違うの?」
「うん、ガラスは人の手で溶かして色を付けて固めて作るんだけど、宝石は自然に出来るもので……」
「鉱物だ」とマークが言った。「自然現象によって産出される天然の化合物だ。原子が規則正しく並んだ結晶質構造を持つ、無機質結晶化合物だ。レッドフレイムは普通、六角柱状の結晶として産出される。硬度は八、比重は四、組成はマグネシウム、アルミニウム……」
「何それ、よけい分かんない。マークってばリリィが頭悪いと思ってバカにしてるんでしょ!」
リリィは席から立ってマークに襲いかかった。キリキリとリリィに首を締められても、マークは消沈して抵抗しようともしなかった。うちのデザイナーを殺されては困るので止めに入ったが、何故マークがこれほどにまで、よりにもよってレッドフレイムに固執するのか分からなかった。
飲み過ぎて意識のないマークをタクシーに押し込み、リリィも別のタクシーに乗せると僕は歩いて家に帰った。自宅に着いてもしかし家には入らず、そのまま庭のガレージへと向かう。
暗闇の中で、ガレージは巨大な黒い影になっている。扉の南京錠は今ではしっかりと施錠されている。僕は家の鍵と一緒に持ち歩いている小さな鍵でそれを開けた。ガレージの中に入り、扉を閉める。トタンの扉は薄っぺらでいかにも頼りないが、外からの視線が遮られればまあいいか、と思うことにしている。
天井から吊るされたライトを点けると、オレンジ色の光がガレージの内部を照らし出す。波打つトタンで囲まれた四方の壁と屋根、平らにならされた剥き出しの土、壁に寄せて盛られた大量の土。そしてガレージ中央には、滑車の付いた塔のような器具が建つ。その真下には直径一メートルほどの穴が開いている。穴は深く、ライトで照らして覗き込んでも底が見えない。
これこそが、祖父の言っていた『とても深い穴』なのだった。
この続きを掘ること、それが祖父から託された任務だった(全く、何てことを、と発見した時の僕は思ったものだ)。
穴は深かった。途方もなく深かった。ロープを伝って中に降り、スコップとバケツを使って中の土を外に運び出す。それはとんでも無く地味できつい作業だった。土は硬く、時には電動ドリルを使わなければならなかった。唯一の救いは塔のような器具の仕掛けで、これはバケツを滑車で引っ張り上げて土を外に放り出すのに使えた。そのおかげで、穴の底に居ながら幾らでも土を汲み出すことができるのだった(何て便利なんだろう)。初めのうちは、罪の意識もありほんのスコップ半分くらいしか掘ることができなかったが、人間というものは慣れれば何にでも鈍感になるのか、今ではためらいなくザックザックと掘っている。
作業をしながら僕は、祖父がこの『任務』を父に任せなかった理由がよく分かると思った。父がこんな土まみれになりながら意味があるのかも分からない作業をするとは思えない。祖父はきっと話してみようとも思わなかったことだろう。
祖父は祖父の父から託され、祖父の父はその父から託された。それより以前のことは分からないが、何代にもわたって先祖たちがこの作業を繰り返してきたのだと思うと、尊敬よりも呆れのほうが先に立つような、よくもまあ、こんなことを続けてこられたものだと気の遠くなるような思いがするのだった。
それでも僕がこの仕事を続けるのは、確かな手応えを感じるからだった。
祖父がきっともうすぐ向こう側に通じると言っていた、その手応えだ。